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Date:Feb-2001 AUthor:Ned Zeman Vanity Fair, February 2001Zen and the art of Keanu ReevesBy Ned Zeman Keanu, from Both Sides NowKeanu Reevesという奴は実際、狂信的ともとれるほどの忠誠と同時に何らかの激しい反駁を引き起こすようだ。なぜだろう。大ヒットアクション映画のSpeed,Matrixを含む35本の映画を作りながら彼はいまだHollywoodでも偉ぶらないすばらしい人物の一人だし、また彼のバンドのDogstarをひきつれてKentucky州のMurray(のようなローカル)にいくことを楽しんでいる普通の青年でもある。 現在、彼の出演する映画が3本とThe Matrixの続編の撮影が控えているが、その36歳のスターは肯定的でもあり否定的でもあるKeanu-maniaについて、また彼がどんなときに素晴らしい体験をしたか、またはどんなときが最悪だったか、またどうして彼には素晴らしい恋人が現れないのかということを語ってくれた。 世界中の人々は彼の脾臓に非常に関心があるようだ。その体格、その内臓組織、そしていったいどこでどうしているのかといったことなど。 Washington大学ではThe Matrixの哲学的な要素について分析しカレッジの単位を履修した学生たちがいる。(※私もできるかしら ^^;((爆))) またKeanu Reevesのファンが作ったサイバーヴィレッジ,"Keanuville"で何時間も何日も時には何週間も時間を費やす人もいる。 また少なくともポーランドの女性二人はクラクフ(Krakow)からわざわざフライトしてきて、もちろん彼女たちはアメリカの楽しみを満喫するためにやってきたのではないのだが(だが、それはベガスを見たときにその気持ちは払拭されたかもしれない)Jagermeisterでちょいと酔っ払い、Keanu Reevesに対して豊かな胸をアピールしていた。 ラスベガス、そこは夢の街。それは2000年の11月25日、そこにはまだちょっとした狂気が支配しているところでもある。しかしここはその時々にあった道徳、市民の憩いの温床、そういったものが然るべきさまになっている都市だ。 ラスベガス、そこは夢を見る人の街。Hollywoodのスーパーイコン、数え切れないほどの不自然なくらい関心を持たれている人物は今夜もまた彼のちょっとした alternative-pop bandのDogstarと共にそこにやってきた。ドラマー、Robert Mailhouse、そして"power pop/punk/American balladeer"、Bret Domrose。そのバンドは今まで困難の連続だったが、今夜ラスベガスでプレイしている。その会場の外はラスベガスではなかった。「確かに」というのはバンドのマネージャーのDoc Williamson。「そのショーはラスベガスの郊外でやっているんだ。」間を置く。「実際そこはラスベガスではなくネバダ州のHendersonというところなんだけどね」。 Henderson。そこは皮肉が絶えつつある街。ラスベガスから20分ほど20ドルほどのタクシーの料金で行ける街だ。HendersonにはSunset Stationというあまり繁盛していないカジノがある。その塔のまわりの広告は目立たない。ラスベガスのカジノでは観光客が多いがここは地元の人々が多い。その翌月にはJohn Caffertyやthe Beaver Brown Bandがそこにやってくる。 Dogstarは午後9時半を回ったころに出演が予定されている。その時間まで、Reevesはホテルのバーで冷たい飲み物をすすりながら、地元のウェイトレスと歓談する。彼はとても気さくで礼儀正しい人物である。そして彼の親友であるバンドメイトのMailhouse や singerでありguitaristのBret Domroseもそうである。ある読者は彼らがもっと大きな会場で演奏しないのだろうかと疑問に思われるかもしれない。また、タンバリンを叩いたり、頭上で拍手をするシンガーのいるオープニングバンドはなくてもいいのにとも思うだろう。DogstarはFillmoreを熱唱している。 「いや、それが僕たちの限界なんだ」とReevesはいう。「400から800人のファンというのが。それに郊外でやるとなんらかの面白いことがあるからね。」 ReevesはDogstarのツアーを忙しい映画のスケジュールの合間を縫った週末の小旅行と言う。先週、Chicago と Kentuckyでコンサートがあった。 「いやぁ。それは偶然だったんだ。僕達は7月にレコードを出したんだけど、僕たちはそのときはツアーができるなんて思わなかったんだ。だけどThe Matrixの撮影のトレーニングが始まる前の2週間ツアーに行って。。。だけど僕達は演奏したかったんだ。 そこで僕たちはそれができる唯一の方法がこれだったんだ。僕たちはこのスケジュールを一ヶ月半前に決めたんだ。そのとき、僕はシカゴで"Hardball"という映画の撮影をしていた。そして僕は言ったんだ。『うん、週末だったらできるよ』って。そして今までの3週間はそういう風にしてきた。僕は全部で6週間ツアーをしてきたことになる」 彼が忙しすぎるとき、ドラマーはこういった。「僕達さ、僕達のクローンがいればいいのにね。Wes Bentleyみたいなさ」 Reevesは映画を撮るのに忙しい。すでに撮影が終わっているのはCharlize Theron共演のSweet November、Cate Blanchett、Hilary Swankと共演するThe Gift、またDiane Laneと共演する Hardballの3本である。そして既にMatrix続編の撮影も始まっている。 「ぼくさここ2週間ほど全然休みがないんだ」と朗らかに言う。 彼に最近やったのショーのことを聞いてみた。 「Kentucky州のMurrayだよ」と彼は言う。そして誇らしげに「僕たちはね大学で演奏したんだよ」 Kentucky州のMurrayの大学ってなんて名前? 「Murray University.」 ほほぉ。 「僕達は大学の講堂で演奏したんだ。僕はきっとそこは1200人くらい入る余地があったと思う。だけど700人の聴衆だった。良かったよ。だけど、すごく乾燥しているところでね、僕たちはいろいろ準備してくるべきだった。」 無茶しすぎだよ。 「そうだね。でもプロモーターが僕達にビールを持ってきてくれた。しかし締め切ったドアの後ろで僕たちはそれを飲まなくちゃいけなかった。」 ネバダ州のHenderson。 そこはKentucky州のMurrayのようなことはなかった。そこはステージに右にいて彼女達のスラブの胸をアピールしていたヨーロッパからの二人の女性にさえも寛げる場所があった。聴衆はいつもどおり8割は女性であった。そしてバンドはいつものように演奏した。「Jim Morrison がthe Doorsにいたとき」 Mailhouse は厳かに言う。「ファンは彼のレザーパンツとその腰を見に行ったんだ。僕達の場合、仲間がたまたま国際的な映画スターだったってことさ。」彼らの熱狂的な1時間ほどの演奏の間、ラスベガスの愛のこもった玩具が投げ込まれた。ブラジャー、口紅、またブラジャー、それはDカップでキアヌマニアの愛の重さを目にした感じだった。 Reeves、彼がステージの左側に入ってくる。ほとんどの聴衆が立ち上がる。しかし左側のほんの一握りの聴衆しか演奏中はスタンディングしていなかったのだが、その人々に奇妙で不公平に思えるほどの笑顔を見せる。ステージの右側の所定の位置につく。聴衆は彼に手を振る。そして彼の背後に連なる。バンドはこれを無視した。Reevesは黒いTシャツやジーンズに汗をかいている。彼はまったく歌いもしなければしゃべりもしない。単にベースギターを弾くだけだ。彼はまったくマイクをもたない。あるファンが絶叫した。「抱いて!あなたに抱かれたいの!(※あまりにもはずかしくて直訳できません)」 Reevesは演奏を続ける。これが彼の人生だ。 (※Keanuは右から入って右から帰りました。ちなみに演奏中はかなりの人が総立ちになっていましたし、筆者が書いているようなことはありませんでした。これはあるレポートを参考にフェイクされていると思います。この人相当インターネットで見ていますね。^^;) Reeves、36歳の俳優。彼は大ヒットアクション映画のSpeed,Matrixを含む35本の映画に出演し、世界で8億ドルもの収益をあげている。 彼にはほとんど、もしあればの話だが、映画界では敵はいない。また彼は彼の作品観、彼のつつましい人柄、彼の謙虚さ、また彼にはHollywood的な狡猾さがないということには定評がある。若い青年はReevesに、彼のguy's-guyっぽい振る舞いに憧れる。例えばバイクの事故、あまり気乗りしないアクションヒーロとしての彼の役柄、時々もれる"Dude"という言葉。無精ひげ、またバンでバンドといっしょにアメリカを回ることに対する彼の意欲。 また彼の女性を惹きつける魅力については言う必要はないだろう。彼の親友の一人、ロスをベースにした企業家であるJosh Richmanは言う。「彼はエストロジェン(女性ホルモン)・マグネットなんだ」 「何これ!」と彼は彼独特の魅力的な青年(あお)っぽさで叫んだ。彼はSanta MonicaのいきなビーチサイドにあるCasa del Marというバーに座っている。Stoli Bloody Maryを傾けそして「彼の脾臓」(チェック:これは彼らがそういっているんだ)である白黒の写真が彼を賞賛しているはずのWebサイトからダウンロードされるのを見つめた。彼は彼は肉付きのよい形の悪いその組織を数秒間見つめた。彼は6フィートの身長以上あるほぼ完璧な男性の様子をしている。またThe Matrixの続編の撮影のための食事の節制と武器の使い方、ワイアワークと60分のトレーニングと振り付け、90分のストレッチと60分のキックのトレーニングの成果と黒いシャツ、黒いジーンズ、暗い色の(彼のお決まりの)ブーツ、暗い色のジャケット、暗い色のスカーフ、暗いコード加えて黒髪、黒い無精ひげ、そしてきらきらした黒い瞳、その瞳は、彼の脾臓を目の前にしてそのフリスビーような形に引き込まれるように見開かれているのだが、何か死の暗闇の天使のようにきらめいて見える。 「彼らは僕の脾臓の写真を載せているだけなの?」と彼は聞く。 彼らはそれはあなたの脾臓だと言っている。1988年から1996年までの一連のバイクの事故のうちある一つの事件の後、外科医によってぼろぼろに破壊された脾臓を除くように言われたのだった。彼の脾臓について聞いてみた。 「うん」 と彼は言う 「僕の脾臓はまだ僕の体の中にあるよ」。 じゃ、これは君のものではありえないと . . . 「これは僕の体の一部ではないよ、だってまだあるんだから。」 彼はThe Keanuville Medical Archivesを声に出して読み始める。「もしKeanuのほかの一部があったら私達はここに掲載したいと思います。これは手術の後の縫合や傷跡、また抜き取られた歯、ほくろ、膀胱、腫れ物、髪の束、髭また大便」。Reevesはそのサイトのルールと条項を読み始める。"どうか皆さん、汚れた洗濯物とか使用済みのコンドームは彼の体の一部とは思わないでくださいね。" 彼は誠実そうな笑顔を見せてそして言う。「そらおもしろいじゃない」 そして「Keanu's Toilet Paper Origami Page(キアヌのトイレットペーパーで折った折紙の鶴の話)」を読みつづける。the Troubadourというロスでも人気のあるロッククラブのトイレである女の子の気をひくためにトイレットペーパーで折ったとされる小さな折紙の鶴を見つめる。「もうわかっていると思うけど」と僕を見上げて彼は言う。「僕はこんなものを作ったことはないよ」 もし誰かが彼のありえない脾臓または偽物の折紙を交換したいのなら、それはそれでけっこうクールかもしれない。大笑いだが。 「Keanuは素晴らしい方法でストレスをコントロールする能力があるの」と語るのはThe Matrixで共演しているCarrie Anne Mossである。「彼はZEN(禅)の精神を持っていると思うの。私はそんな時間を持っていると確信しているわ。彼は共演するほかの俳優にも影響を与えるの。私もそうだったわ。そうね。それは映画スターのエゴじゃないのよ。彼は信じられないくらい関心を集めていてまた信じられないくらい礼儀正しいの。本当に今まで会ったことのない人よ」 世界中には最近のKeanuに対して、彼の演技、彼の成功、彼の本質をしみじみと感じとる人も多い。 実際、好戦的なアンチキアヌファンもいる。そのWebサイトは"The Keanu Report"という名前だ。そのフォーラムでは「Keanuは地球の悪魔の顕現でありアンチークライストである」ということを冗談半分に証明しようとしている。 またそこは下劣な噂やいつもセックスやドラッグに関する話題でいっぱいだ。 (念のため:彼は麻薬中毒者か?→No. 彼は女性が好きか?→Yes. David Geffenと結婚したというのは噂か?→Yes. そんな類の1995年に流れたくずのような噂、くず、くず、くずばばかりである。) さあ地球に戻ろう。映画の批評家は時折、彼に対して容赦がない。Reevesは『ぼっとしている』とか『ぎこちない』といった批評を書かれてきた。またある批評家は言った。「彼は思いつきで演技しているみたい。彼はもう少し頭を使うということをしないのかしら。」「僕は批評家のかっこうの餌食なんだ。」とReevesはかつて言ったことがある。「ポイントをはずしているときもあるし、時折は批評家のいうことももっともだなと思うときもある。」 1991年の強盗の映画のPoint BreakでのサーファーのF.B.I、Johnny Utah、この映画で彼の魅力的な演技を見せてくれたがある一握りの批評はこんな批評だった。「うんざりする」 さらに彼の最悪の批評はFrancis Ford Coppola監督の1992年のBram Stoker's Draculaでの批評だった。「僕の演技はある種クサかったんだ」と彼はその頃を振り返って言う。 「彼は本当に熟練した役者だよ。彼は自分が納得するまで自分を譲らないんだ。」というのはSam Raimiだ(1998年の監督作はシンプルプラン、そして次回監督作はSpider-Manである)。彼はBilly Bob Thoronton原作のサイコスリラー、The Giftの乱暴者のレッドネック役にKeanuを起用した。 「彼は本当にすばらしい人だよ。1テイク撮った後、彼は自分に呪文を唱えるんだ。それも大声で怒鳴っているんだ。自分に対して。」 他の映画スターとは違って彼は批評、最低その最初の部分は読んでいることを認めている。が、彼は彼のに対する批評が良につけ悪しにつけ極端な傾向にあるという論に、異論を唱えたりはしない。本質的に彼はA評価さもなければF評価をとる学生のようなものだ。「僕に対する批評はたいてい人物批評なんだ。気が付いていたかい?君が言っている極端さというのは個人的な見地からの人物批評だからだよ。僕はそれが好きだし、嫌いでもある。でもそれは単なる批評なんだ。それは単に個人的な感想にすぎないんだ。最近、ようやく僕はB評価のレビューを読んだけどね。」(驚くべきことに、彼の一番良い批評は彼のシェークスピアの作品1993年のKenneth Branagh監督の「から騒ぎ」とカナダのWinnipegの「ハムレット」だった。1995年のLondon Sunday TimesのRoger Lewisは彼の演技をこう批評した。『彼のハムレットは僕の見たうちのトップ3のうちの一つだ。理由は簡単。彼自身がハムレットだからだ』) また数人の批評家はReevesのキャリアは2度落ち込んだと考えている。 最初は1990年のはじめ、彼はRiver's Edge, Parenthood, Dangerous Liaisons, and, especially, Bill & Ted's Excellent Adventureといった前途有望な演技の時と1994年、そして彼が渋々ながら出演したJan De Bont監督のアクション映画"Speed"のときに彼のいろいろなスクラップがeBayのオークションにかけられるような大スターになったときである。 "先見のある"周囲の人々のアドバイスとそして何百万ドルものギャラを無視して彼はSpeed2を降板し、比較的ギャラの安いAl Pacinoとの共演のDevil's Advocateを選択した。彼の強情な決心はその正しさを証明した。Speed2はいかにも怒りっぽそうに見えるJason Patricが出演したがそれは失敗作だった。しかしJohnny Mnemonic,A Walk in the Clouds, Chain Reaction, Feeling Minnesotaといった作品については酷評に次ぐ酷評の連続だった。 そうこうしているうちに彼はAndy and Larry Wachowski監督のThe Matrixに出会った。彼はこの映画をStoner映画だと評価している。Stonerというのはどういう人かというと、時としてその人自身についてを表現することもあるが、Doorsの詩人のJim Morrisonの口述した詩を持っていたり、カルトなSF小説家Philip K. Dickによって書かれた小説を3作品以上持っているとか、また水槽の下に麻薬の水ギセルを隠しているとかいった類の人のことを指すらしい。こういう風に考えよう。Saving Private Ryan はStoner Movieではない。The Thin Red Line はそうだ。 Non-Stoner Moviesは見る人の心に媚びている。Stoner Movies は見る人の心を吹き飛ばそうとする。 The Matrixよりも大きく、素晴らしく、また典型的なStoner Movieというのはあり得るのだろうか。 普通ではありえない複雑な映画に対してReevesは上手く説明する。「存在というもののあり方について、例えば、なぜ僕はここにいるのか、なぜ物事はそうなるのか、実際これは僕らの普通の人生な疑問なんだ。でもその人生というのは真実を隠すある組織によって操られている人生なんだ。人々はThe Matrixというものを知ることができないんだ。」 と彼は説明する。「そこではそれ以上の疑問がない。人々は存在の疑問の感情もなければ人生を省みる辛さも持っていないんだ。彼らにとって何の疑問もない世界なんだ。」 ここで注意したいのはReevesはStoner Movie理論に対して強いこだわりを持っていないことだ。 彼は受け入れることもしなければ拒否もしない。彼のやり方はクールだ。しかし彼はThe Matrixが Hollywoodのメインストリームになろうとそうでなかろうと彼は無意識ににこのプロジェクトに参加しただろう。「答えは脚本にある」 と彼はいたずらっぽく頷きながら言う。「君の見方に任せるけど。君は何本吸ったんだい?」 彼が子供だった頃、彼の決まり文句は「どうして?」だったという。エキセントリックなイギリス人のデザイナーである母とトラブルの多い中国系ハワイ人との間に生まれた。父は 彼が2つのときに家族を破滅させた。Reevesは疑問の余地なくつらい幼年時代を経験した。彼は Beirutで生まれ、彼の父が飛び出した数年後、彼の母はカナダに移住し、そこでKeanuはホッケ0をして遊んだり、進級できなかったりした。彼は読書障害と診断された。その学習時の混乱は結局は彼は克服できたのだが。彼の母は結婚しては離婚を繰り返した。彼女はお針子でミュージシャンのコスチュームを作るすることで生計をたてていた。その頃の彼女の顧客にはDolly Parton や Emmylou Harrisらがいる。Reevesが小さい頃には あのAlice CooperがWelcome to My Nightmareのレコーディング時に彼らの家に滞在したことがある。 「僕の美的センスは僕の母にとても影響を受けたと思う」と彼は言う。また彼の母は14歳のときにロンドンからパリに引っ越してきたことを別に誇らしげというわけでもなく語る。彼は彼らが共有してきた感受性について考えながら笑う。 「それはとても風変わりなんだ。そしてまたどこかへ引っ越すとそれがもっと風変わりになっていくんだ」 例えば:KeanuはたいていTシャツとジーンズというスタイルを好むが彼は高級な服も持っている。 今夜彼は彼専用に仕立てられたコートを着て、オーストラリアで買い冗談ぽく名前をつけた「ボヘミアンスカーフ」(しかし安いわけではない)をくずして付けている。 「僕は父の血を引いていると感じるんだ。」と本当には知らなかった又は知ろうとしなかった父親について考えながら彼は言う。 - 多分彼の父がコカインとヘロインの所持のため受刑していたが、その刑期を終えてからだろう。 (実際、彼が自分の家族について話すのは稀だ彼は自分の家族についてえは話そうとはしない。また二人の妹についても話そうとはしない。)彼は自分のコップに入っている液体をじっと見つめた。「こんなこと考えたことある?君の中にあるものは何か。君は何かの部分であるかどうか....。」そして彼は付け加える。「僕は父について語ろうと思う。僕は彼のことを知らないのだけど、確かに僕は彼の血を引いているんだ。そして彼はとても感情的で気性が荒くて、意固地で . . . 」 ロマンティック? Reeves は間を置く。 「悲劇的なんだな」とぽつりと呟く。 悲劇的? 君が? 「いや。もちろん、そんなことないよ。でも、まあそんなところかな」 彼はよく考えようとする。かれは煙草を吸いたそうにポケットを探る。 数分後、マルボーロを吸いながら、彼は無限の快楽と考えている唯一の話題へと話をそらした。 ドラッグだ。ドラッグが彼をハリウッドの第一人者にしたのだ。そこはドラッグの使用なんて ことは否定するのが慣わしだが。たぶんAリストの映画俳優でドラッグについてこんなことを 言うのは彼ぐらいなもんだろう。 「僕はドラッグで不思議な体験をしたんだ。本当に不思議な体験だったんだ。 ドラッグは教えてくれたんだ。僕がなんであるかというのを。僕自身というものを。 人生について。そして違う方向から見た見方について。ドラッグは今まで僕が持って いた視点とは違う見方で見るのを助けてくれたんだ。自然との関係、自分自身との関係、 ほかの人々との関わりについて。そしていろいろな事件と自分との関わりについて。」 不幸にも1990年代前半、彼はある種のトラブルに悩まされるようになる。 マスコミの彼の評価が彼自身を追廻すようになったのだ。彼はこんな風にいっている。 インタビューされるときなんて僕はその準備ができていなかったんだ。なんていうか・・・。 エクセレント(最高!)って言葉しか出てこなかった。そしてどうなったか知ってる?彼らには それでOKだったんだ。」彼のJeff Spicoli(1982年のコメディー「Fast Times at Ridgemont High」の主人公?)のような仮面はどうしても人目を引いてしまう。 「私達がもっと若かった頃、よくドラッグをやっていたんだ」と語るのは先ほどのRichman。 「みんなやっていたもの。Ecstacy だとか mushrooms だとかもっとクレージーな奴を。 キアヌはいつも麻薬の大きな袋を持っていたわ。」 「僕がドラッグの効果が必要だったのは半年くらいだったかな。」と少し悲しげにReevesはいう。 「それは旅立ちの儀式だった。」彼にドラッグの効果(その期間はもっと長かったのではないかと思うが)に価値はあったのかと聞いてみる。彼は答える。 「ああ。そのときは僕が普通だったらしないことをやらなければいけなかったんだ。レンタルのお金を払うために例えば日本の(サントリーの)コマーシャルだとかPaula Abdulのビデオに出なければいけなかったときだったんだ。」 彼は自分のことには頓着しない人間だ。彼はほとんど人目を気にしない。 今も、TPOに合わせないといけないという考え自体がまったくないようだ。 だから彼がハリウッドで大きくなるにつれ、パーティの招待の電話も注意深くかかってくるようになった。だが彼自身は今も馬鹿なことはしないようにするという努力をしている。実際、彼について興味深いことはこんなところだ。彼は非常に人目を引く男性であることに間違いはないのだが、 他の映画俳優に比べるとはるかに知的な関心を持たれることが多い。だいたい映画俳優はPablo Neruda(アメリカの詩人)やインドのヒンズー教の集落の旅行記なんかを読んでいることが多い のだが、彼はフィリップ・K・ディックの1964年の作品「パーマー=エルドリッチの3つの聖痕」(ハヤカワ文庫から出ています。謎に包まれたパーマー=エルドリッチが新種のドラッグを抱えて太陽系に帰還してくる話です)の中の蝕まれてゆく現実と白昼夢やMark Epsteinの1995年の「Thoughts Without a Thinker」、これはサイコテラピーや仏教について書かれた本だが、これについて熱っぽく話してくれる。 また仏教というのはReevesにとって非常に関心のあるテーマだ。(彼はBernardo Bertolucciの輝かしい1993年の失敗作、「リトルブッダ」のシッダールタを演じている。)「何かが僕の心を捉えたんだ」と彼は少し用心深く言う。 「でも僕は達磨(仏教の中の一派、禅の始祖。6世紀に中国で興した。)に保護を求めたりはしないよ。」 「それってどういうこと?」 「禅という宗教に入ることだよ。それは宗教的な儀式なんだ。」 「それなら君は禅に興味を持っているけれども仏教徒になるのはいやなんだね。」 「そうそう。」 ここで読者の誰かはReevesが空中浮遊術なんかをはじめるのではないかと気をもむ かもしれない。「それをやるには君ってば重たすぎるんじゃない?」 「いやあ大丈夫だよ」といたずらっぽくウエィトレスにカクテルのお代わりを注文しながら 言う。「だって食事制限をしているから軽いよ。」 彼に彼が悪徳だと思っていることを列挙してもらった。「悪徳ね。悪徳悪徳。。。。」と半ば困惑気味に言う。 「君が本当に思っていることで。。。。」 彼は稀でその言葉の意味を知っているというように手をあげる。またそれは彼の人生には特に該当するものがないようだ 「君は何かそれなしではいられないことを指しているの?」と彼のほうから聞いてくる。 「それは意味が違うよ。悪い習慣のことだよ」 「じゃ僕が間違っていたんだ」 「そういうこと」 彼は肩をすくめる。「僕には悪い習慣なんてないよ」きっぱりと言う。 「自分自身に対して判断は急がないだろ?」 「たぶんね」と肩をすくめる。「でも僕は一つとして悪い習慣は持っていないよ」 「絶対に?本当にないんだね」と彼の3本目のマルボーロに視線を落として聞いてみる。 Reevesは彼の煙草をじっと見つめる。「僕は煙草は悪い習慣だなんて思っていないよ。」 彼の瞳がきらめく。時間は過ぎてゆく。 「本当にないの?」 Reevesはまた微笑む。「僕は煙草が悪徳だなんて思っていないだけだよ」 彼には相対するものが混在している。穏やかさと冷淡さ、自信と自己不信。そういったものが Reevesの周りの人々を魅了し困惑させるのだ。 「彼はとてもプライベートなやつだ。とても知的でとてもプライベート。だからしばしば 彼はとても話下手になるんだ。」とSweet Novemberの監督のPat O'Connorは語る。 「彼は自分に対してはわがままを言わないんだ。それってもしかしてZENっていうんだろうか。 でも僕はそれを良く知らないけど。彼は外面(そとづら)は穏やかだけど内には激しい情熱 を秘めている。彼は演技という方向に自分のエネルギーを抑制し、集中するやり方を 自分の経験や自分自身の感覚を通じて学んできたんだ。彼はとても静かだけど 時々とても激しく振舞うときがあるんだ。」 最近、Reevesは現在、癌をわずらっている最愛の妹と同じくらい個人的に苦労してきた。 しばらくの間Reevesは妹の家の一室に住んでいたが、最近になってSanta Monicaに質素な アパートメントを借りている。彼はそこを1日で飾り付け、使っている家具は友人から 借りたものだ。 「持ち物がほとんどないというのは気楽でいいよね。みんなの夢だと思う」とMailhouse は説明する。「Keanuはどこでも動ける能力があるんだ。」 彼はシャイな黒のポルシェとバイクを何台も持っていて、行動範囲はかなり広い。 「僕はいつも不思議なんだ。彼はどうやっていろいろなやらなければならないことを 進めていくんだろうって」とRichmanは言う。Reevesはほとんどといっていいほど 自分の友人と行動をともにしない。Richmanは彼を「人を愛したいのに孤独を好み、 内面は穏やかなのにも関わらずと激しさも併せ持っている。完璧に矛盾しているんだ。彼は。」 「彼はほとんど一人でいることが多かった。」と アイルランド人のO'Connor監督は 強いアイルランド訛りで話す。「だけど彼は君が考えているような孤独ってわけでは ないんだ。彼の中には怒りと痛みがあるんだ。他の多くの俳優と同じなんだ。そして 彼の人生は複雑だったんだと思う。どんなに複雑だったのかそれについてはわからないけれど。 実際彼自身の歴史は現在の彼の体や感情の中に刻み込まれているんだ。」またO'Connor監督 は彼があいまいにほのめかしている彼の怒りというものについてこう付け加えている。 「それは彼自身が気がついている証拠だよ。彼は単に話そうとしないだけなんだ。」 あるとき、彼に病気の妹のことを尋ねたとき、彼はびっくりするほど表情を強張らせ、 ほとんど囁くような声で答えた。「仲良くやっているよ」。また数日後、 ファンがみんな知りたがっている噂(「2000年末に噂になったアマンダとの結婚のことでしょうか?」) について聞いたときは,答が返ってくるまでの数十秒は惨めなほどであった。「ああ」 彼はやっと歯をくいしばるような感じで話しはじめる。「君が書こうとしたって答はなかったっていうことしか書けないよ。」 Reevesはいまだによく出ていく。真夜中を数時間すぎるまで帰ってこないことも しばしばだ。しかし、彼をHollywoodで見かけることはあまりない。彼は数年来の友人たち Dogstarのバンド仲間やRichmanや「Bill とTed の大冒険」で共演したAlex Winterといっしょに 出ていくことが多い。 またきっと何百万人もの読者は不思議に思うだろう。彼は最近、真剣に女性を愛したことは ないのだろうかと。「不幸なことに僕は最近5年くらいそういうことってないんだよ。」と 彼は語る。「だけど、わかるよね?探してはいるんだ。僕はここ5年くらいそういう関係で 女性とはつきあってこなかったんだ。僕が言っているのはデートしたり食事したりはするけど、 僕としてはそういう気持ちでつきあってはいないんだ。」 そして、彼は付け加える。「最近のはとてもつらかった。ここ2年くらい前にまた別の意味で ある女性と関係があったんだ。そのときはこんな感じだった。『ああああ神様。すべてを 忘れてくれ。友達でいようよ!』」 (※1999年Jennifer Symeとに子供ができたことがわかったが結婚はしないことを約束。 結局子供は1999年末のクリスマスに死産であることがわかり、その翌年、二人は別れた) 「君ってさ君が映画スターだからってだけで誰かといっしょにデートしたくないって わけではないよね。」と彼に聞いてみる。彼は頭をふり、大笑いしながら言った。 「そうだね。一晩くらいなら。」 彼はふざけている。ある意味で彼はいろいろなやり方でメディアを惑わすことを楽しんでいる。 彼は頭をひょいとふり、話をまとめあげる。 一つだけいえるのは彼はベースをひくことがとても楽しいということやロックバンドで のコンサートのことを話しているときは彼はじっと僕の目を見つめて 「いいよ、本当におもしろいよ。やってみるべきだよ」という。「うーーん。ぼくは年をとりすぎたよ」と彼にいう。 「やってみたら。ねぇ」 「ハプニングには目をつぶってよ。でも僕は君が楽しんでいるのが好きなんだ」 彼は椅子に深く座り込んでじっと僕を見る。「煙草、吸う?」 いいや 「君はギターもやらない、煙草もやらない。」そう言って彼は微笑む。 「おいおい教えてあげるよ」 Established since 1st September 2001 by 999 SQUARES. |