To Japanese Edition To English Edition
メニュー
What's New
News
戻る
ヘルプ
Interview by First
2005年 2月号

原文は下のリンクをご覧ください。
First Magazine

Keanu Reeves が帰ってきた。しかし、今度の役は重度のアルコール依存症でヘヴィ=スモーカーだ。彼は自殺未遂、そして悪魔や霊を見ることができる。どこにでもありふれた平凡な中年オヤジである私、Royston Loh が、とても私達の隣人とは程遠い救世主に、ロスにて独占インタビューを行った。

彼はぜんぜんネオらしくなく、またスピードの役柄にも程遠い感じであった。

実際、彼はDanny Oceanのような服を着ていて、髪といえば、ハリー=ポッターのようだった。ムッシュウ、2週間ほど剃刀を当てていない無精髭は方々に伸びて彼のあの美しい顔を台無しにしている。普段は青白い白い肌にはぽつぽつとピンク色のにきびがあり、大酒飲みのように見え、怖そうに見せている。あまりにも早く、午後のこの時間までにミニバーは空っぽになってしまっているのではないかと思うほどである。

しかし我々はビバリーヒルズの目抜きにあるBerverly Wilshire Hotelというおしゃれなホテルにいる。もちろん、映画のセットではない。彼はそのときが来れば、ベストな服装をするのだろうが。今回、我々は彼の新しい役柄であるコンスタンティンについてディスカッションをしにきたのだ。

「コンスタンティン」はDC/Vertigoコミック「ヘルブレイザー」をベースにしている。主人公はヘヴィスモーカーでアルコール中毒で、無作法で、超能力を使う探偵、John Constantine(Reeves)。彼は文字通り地獄へ行くが、また戻ってくる。彼は警察官のAngela Dodsonの依頼を受けて、彼女の双子の姉の自殺の謎を捜査する。捜査が進むにつれて、彼らはロスのすぐ下にある悪魔と天使が存在する世界へと入り込む。次から次へと別世界で災難に遭遇し、絶対絶命の窮地に陥るが、あらゆる犠牲を払って、その困難から抜け出す道を見出す。

監督のFrancis Lawrenceも同じ部屋に同席している。が彼はキアヌよりも身だしなみがいい。彼は2年間この映画に携わってきたが、彼はまったくコミック自体に興味がなかったため、このコンスタンティンというコミックがあることも知らなかったそうだ。「僕はスタジオ関係者にこのプロジェクトについてプレゼンをするために脚本を調査したときに初めて、このコミックとこの主人公を知ったんだ」

どこかでLawrenceの顔を見たことがあると思った方々、そうなんだ。彼もそこらへんにいる平凡な親父ではない。そう、彼はAerosmith,、Justin Timberlake、Jennifer Lopez、Will Smith、Janet Jackson といった世界的に著名なミュージシャンたちのミュージックビデオの監督として数々の賞を獲得している。この映画は彼の最初の監督作となる映画だ。

この映画はコミックをベースとしており、コンスタンティンは悪魔や妖魔と戦う。また地獄と天国や、天使も出現する。つまりこの映画はとても特別な視聴覚効果が使われてということだ。彼は2003年に公開された、多くの視聴覚効果が使われているマトリックス続編2作に出演しているが、彼はコンスタンティンについてはどう思っていたんだろうか?妥当にCGIとアクションとが組み合わせっていなかっただろうか?

「そう。映画の中の視聴覚効果を使うことについてなんだけど、僕はいつもストーリーを台無しにしていると感じていたんだ。このプロジェクトに関わった監督や関係者、特に監督のフランシスは物語の中心をキャラクターに重点を置いていたんだ。視聴覚効果を使うことでストーリーを語る上で、聴衆必要な部分に視聴覚効果を使うようにしていたんだ。」とキアヌは言う。彼の手は彼の言葉のごとく雄弁にそれを物語っている。 「特に、フランシス(ローレンス監督)はCGIにする部分については、本当にすばらしいCGIだけどね、キャラクターや物語に関係があってより効果がある部分にCGIを取り入れていた。単にスペクタクルのためにのスペクタクルを導入するような本末転倒なことはないよ。他に類を見ないほどこの映画のCGIと物語は最良の組み合わせになっている。CGIが非常に効果的に使われているので、物語のメッセージ性がより強まって感動的に仕上がっていると思うよ。」

キアヌは18歳のとき、1982年にカナダのテレビに最初に出演してから、幅広く多方面に活躍をしてきた。だが、もちろん、彼の演技の方法論について好意的な意見を持っている批評家は多くはない。しかし、彼がいくつかの賢明な選択をしてきたことは間違いない。1994年の「スピード」また2004年のマトリックス三部作など大作を見事に演じきったのは多くの人が認めるところだろう。 また、1991年の「マイプライベートアイダホ」の男娼に落ちた金持ち息子の役柄を記憶している人もあるだろう。しかし、1992年の「ドラキュラ」、1997年の「ディアボロス」で弁護士役を演じている。この役柄は今回のJohn Constantineに似ているように思える。(註:???)しかし、今回、彼は、最早、若さにあふれた純粋で野心的な青年ではない。彼はいまやありふれた平凡な冗談好きな男にすぎない。また彼はあるがままの世界を見すぎ、生きるのに疲れ、苦しんでいて、早く死にたいと願っている男だ。

「台本を読んだとき、僕はこの男に親近感を持ったんだ。この脚本はすばらしいと思った。楽しんで読めたよ。この主人公、この世界中で例をみない男は相当な皮肉屋でそして何か楽観的で、そして自分の人生のためだけに戦うのさ。」キアヌは思い出しながら語る。「ダイアローグはハードボイルトでその物語はとても楽しかった。それに僕は魅了されたのさ。」

Constantinは特別な能力を持っている。天使が見えることで天使からの恩寵を受けるのだが、その代わり、不幸にもその能力があるが故に悪魔からも呪われる運命となる。悪魔に呪われるという病的な能力のために、彼は安易に自殺を図ってしまった。しかし、もちろん、全知全能の力のために彼は地獄から舞い戻されて、天国に行く道を見つけることとなる。新たに悪魔的な力を身につけて、4つの世界の魑魅魍魎を排除するというくそったれな仕事につくことになるのだ。また悲惨な人生から逃れるために、ヘビースモーカーで大酒飲みで文字通り死にかけているのだ。彼は今やアンチーヒーロー的なヒーローを演じているのだ。(ハリーポッターシリーズの悪役の)Voldemortはハリーポッターを再び脅かそうとたくらんでいるが、再考したほうがいいかもしれない。

役柄をリサーチするにあたり、彼は悪魔祓いのための祈祷師(以降、エクソシスト)や、祈祷師について、そして腫瘍遺伝子学者について学習しなければならなかった。
「だって,Constantineは肺がんに苦しんでいるんだ」とキアヌは説明する。だが、エクソシストといっしょにどんな研究をしたのだろう?
「僕は彼がどんなことをしなければならないのかをきちんと知りたかったんだ。全てを知る必要はないんだけどね。でも僕らはどのようにして悪魔と交信するのか、どのようにして悪魔祓いの力を得るのか、どのくらいの力があるのか。どのようにして自分を守るのか。そんなことをちゃんと知りたかったんだよ。」と彼は拳(こぶし)を握り締めながら言う。

超自然的な現象を信じている彼はセットで起こった奇妙な体験をこのように語る。「僕は幽霊って信じているんだ。だって幽霊をを見たことがあるんだもの。僕は部屋に入って、気分が本当に悪くなったんだ。そして奇妙なことにいきたくない場所の温度が変なんだ。またサウンドステージでもそんなことがあって」

その点についてはローレンス監督がすばやく補足する。「それは信心深い、そうでないに関わらず、また迷信深いかそうではないに関わらず、すべての人に起こ得ることだと思うんだ。扱っている映画が映画なんで、全員が感受性が高いといってもいいと思うんだ、みんなエクソシストやポルターガイストの映画製作のときの話を何かしら聞いたことがあると思うけど、映画製作全般を通じて本当の霊が入り込まないように気をつけないといけないんだ。

ある撮影中の1日のできごとについて、ローレンス監督は無表情に話す。「キアヌと Djimon [Hounsou]とで電気椅子のシーンのリハーサルをしていたところ、脚本にはないものがあるんだ。だが、アフリカとフランスの混血である彼はVoodoo教の何らかの素養を持っているんだが、この祈祷師といっしょにやってきたんだ。彼はこのシーンにVoodoo教のエッセンスを盛り込んだ。だが、 「君は何か知っている?ジンを一瓶をもらっていいかい?ぐいっと一杯やりたいんだ」こういって、彼は自分の足につばを吐き、語り始めた。僕たちはキアヌや僕は両方とも「ちょっと!やめるんだ! Voodooは!」なんてことを叫んでいたよ。

この映画の初期のプレビュー版ではキアヌの役が鏡をつかって悪魔が憑依した少女の悪魔を祓うシーンがある。悪魔は文字通り可愛そうな彼女から離れようとする。この試写は我々の中でもラッキーな数名が小さな撮影室に入ることができて見ることができたのだが、単に驚くべきというしかないほどの出来だった。これはとてもすばらしい映像だが、ホラーが苦手という人は絶対見ないほうがいいだろう。

実際、今回よりも以前より、あるファンの少年たちが今回の映画化についてジョン=コンスタンティンのロケーション場所(ロンドンからイギリスに変更)やキャスティングについて不満を訴えていた。原作ではジョンはイギリス人でブロンドであるが、キアヌはまったく違う。また、ロケーションは原作ではイギリスだが、ローレンスが監督するこのバージョンではイギリスからロスに変更された。

「コミックスは相対的に僕にとっては未開の分野なんだ。またコミックファンやインターネット上のファンたちにとっては僕は新参ものなんだ。(ミュージックビデオでいろいろな賞を総なめにしているのにも関わらず)」とローレンス監督はコメントする。「キアヌや僕が努力したのはコンスタンティンの真髄を損なわないことようにすることだった。最初に僕が魅力を感じたのはその台本だったんだ。僕はコミックのジョンを映画でも表現したかったんだ。」

「彼はアウトサイダーで魔法を使う。彼は自分の友人を危険な目に遭わせる。それがコンスタンティンなんだ。僕にとってはそのほかのことは表面的なことにすぎない。熱狂的なファンは彼がブロンドでないだけで、トレンチコートの色が違うということだけで、困惑してるんだ。チャドは原作より若い。だけど、そんなことは表面的なことだ。これは映画として原作を基に作っているんだ。僕はキアヌはとても魅力的なコンスタンティンを演じてくれたと思う。再構成するにあたって、ショックだったのは「ヘルボーイ」が世界中で公開されていたこだった。」ローレンス監督は無表情に語る。「僕としてはConstantineこそが世界中に広めることができると思ったんだ」

 キアヌとローレンス監督は最後には、ほっとしかもしれない。彼らは ラッキーなファン達を招いて20分間の試写を行った。彼らの反応はすぐに現れた。比較的普通に平凡な最初の部分が、突然悲劇的なシーンになると、彼らは非常に興奮していた。その興奮が覚めると、映画をほめそやした。

ここからは映画を見た少年たちが、この映画の宗教的な部分についての質問だ。ここからは映画のストーリーに関わることなので、映画についてこれ以上知りたくない人は読まないでほしい。

 では、始めよう。地獄からきた悪魔の力は悪魔と神の間の協定を破壊しようとしている。そして神と悪魔がまるでそこらへんのティーンの女の子のにきびのように、うじゃうじゃと地上に現れるのだ。天使あり、悪魔あり、信条への疑問もあり、人間性というものはないか、人間の本質というのはなにか、そして最も重大な疑問は「救済とは何か」ということだ。もちろん、John Constantineによると問題を探り、悪魔や地獄と戦うこととなるが、この映画にこめられたメッセージとは何なのか。

「僕は特に宗教的にはしなかったつもりだ。だが、僕の両親は私よりも敬虔(けいけん)なんだ。普通の家庭の両親は僕の血筋や家系よりもさらに敬虔なんだろうと思うんだ。僕はいまだに敬虔なクリスチャンというわけではないんだ。僕はまたいくつかこんなルールがあるのではないかと思っている。この全宇宙が司るこの世界にはいつも疑問が生じるんだ。ローレンス監督は、なお一層この疑問を掘り下げる。「コンスタンティンの世界は本当にカソリックの世界なのか。もしかしたらイスラム教や全宇宙の真理なのかもしれない。僕はよくわからない。君達は本当にこの映画でいろいろ疑問を持っているようだが、この映画はいろいろな視点からみることができるんだ。僕はクリスチャンでない人も同じように楽しめるようになっていると思う。この映画を理解するのに、カソリックである必要はないんだ。それが、僕がこのコンスタンティンを好きなところなんだ。」

 1994年に「リトル・ブッダ」でシッダールタ王子を演じたキアヌ・リーブスは語る。「僕の役柄は若いときに自殺しようとする。彼はすでに地獄に行っているんだ。で、彼は現世に戻ってくる。宗教的な理由なんてないんだ。それは世界を司るルール、天国と地獄だったりする。彼は天使と悪魔のゲームの中に突き落とされて、選択を迫られるんだ。僕らも似たようなものだけど。」

 キアヌはもう一度深く呼吸して続ける。

「また、この映画は、善良であるというのはどういうことなのかという問いかけを見る人に投げかけている。この映画の結末は一つの見解なんだ。人間の存在を慈悲の対象とするのか、愛の対象とするかといった宗教的な問いかけをしているんだ。」

もし自分自身を愛せるならば、他人も愛せるんだ。そういった愛こそが人を天国、涅槃(ニルバーナ)といった場所に誘うものなんだ。こういうことは全ての宗教に通ずると思うし、この物語の中に、そういう理念も一つあると思う。彼は自分を犠牲にするんだが、それこそはまさに自分のためにそうしたことなんだ。

実際にそんなに幸福といえるような出来事に恵まれなかった人生を生きてきたベイルート生まれのキアヌはコンスタンティンを演じるにあたって十分な経験をしてきたといえる。キアヌは中国系ハワイ人の地理学者である父とショーガールをしていたイギリス人の母を持ち、今や1.85mの立派な男性になった。がl彼は両親の離婚を経験、子供時代に3人の義理の父を持つことになった。彼は17歳のときに高校を中退師、29歳のときには酔っ払い運転で逮捕され、35歳のときにはJennifer Symeとの間にできた娘を死産でなくし、そしてその彼女自身も2001年に交通事故でなくしている。彼はまた2002年後半、妹の白血病の病状が悪化し、その重荷にも耐えている。

「矛盾と苦悩は大事な要素だよね。」と彼は自分の役柄について語る。「罠にはめられ、そう、彼ははめられたんだよ。彼は地獄に行きたがっていない。ごころが彼は自分が死ねば地獄に行く事を知っている。だから、彼は望んでいないこともやらなければならないんだ。彼は自分でやりたくないということはよくわかっているだよ。それが面白いんだ。それが演じていて面白いんだ。彼のユーモアや、そつなく振舞っているようで、全然そうでなかったりしている部分だとか。役者にとっては金(ゴールド)にも値する役だよ。

宗教、自殺、ヘビースモーキング、肺ガン、こういうのはすべて表に出すのはタブーなことばかりで、映画にもあまり取り入れらないところですが、最初にこのプロジェクトにOKを出したのはどういう理由があったのでしょうか?

ローレンス監督は「最初から最後までスタジオは驚くべきことにとても協力的だったよ。」と告白する。「実のところ彼らはそういうことを理解していなかったんだ。スタジオはこの映画をわかっていなかったんだ。僕らは『きちんと見てから判断してください』と何度もいい続けたよ。ようやくクリスマス休暇に入る前に20分のラフバージョンを作ってみせてようやく「あぁ、あぁ、そいうことだったのか」と行ってくれた。でも僕達はその映画製作にハードに取り組まなくちゃいけなかった。だけど、彼らはこの映画については最初から最後までとても協力的だった」

キアヌは、この撮影中に実生活でいくつか大変なことがあったように見えるが、公的にはいろいろなプロジェクトをこなし順調であるかのように見える。「コンスタンティン」の後、コメディ「ThumSucker」、SFの「A Scanner Darkly」、Spike Leeのスリラー「A Night Watchman」(註:現在このプロジェクトは中止になっている)などなど次回作に暇がない。彼に「どうやってこういう大変なプロジェクトをこなしているのか」と聞くと、彼はかなり間をおいて答える。「演技が好きなんだ」

この仕事熱心なタフな男にはタフに仕事することしかできないのだろうか?

「僕は仕事ばかり続くのは全然かまわない。でも、どうしても、それができないとき、またはどんなにやってみても、その出来に妥協または納得できないときは相当辛いものがあるね。」キアヌは深く考え込んでようやく結論を言う。

キアヌの撮影の日を想像してみよう。私は過去にこれだけ真面目な完璧主義者に会ったことがない。そう、彼は実際、そこらへんのありふれた親父ではないのだ。この瞬間「酔っ払い」という言葉が私の頭をよぎる。実際、私はタバコを1本とビールが一杯ほしくなったが、私は彼のミニバーには実際のところ空なんじゃないかと思った。


Established since 1st September 2001
by 999 SQUARES.