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Interview by PAUL FISCHER
2005年 2月

原文は下のリンクをご覧ください。
MovieHole - Interview : Keanu Reeves
Darkholizon - Interview : Keanu Reeves

By - PAUL FISCHER Posted on Fri, 11-Feb-2005

何年もキアヌ=リーブスにインタビューしてきたが、彼はインタビューを嫌がっているのではなくて、彼はむしろ個人的にインタビューに対応するほうが話がしやすい。だが、以前は、たいていは自分をオープンにすることはなかった。しかし彼の新作「Constantine」をプロモートするにあたり、彼は非常にメディアに協力的だった。おそらく、このアメコミの主人公の役柄が非常に自信家だったからだろうか。このプロモーションの最中は以前の気難しいハリウッドスターよりはリラックスしてみえた。

キアヌはJohn Constantineを演じている。その役は悪魔と神の狭間をゆ歩む超自然的なミステリーを解決するアウトサイダーである。Constantineはレイチェル=ワイズが演じる警察官のアンジェラとともに解決に挑む。 彼女は自分の双子の姉の自殺について調査を依頼しにきた。姉の自殺には「最初の堕天子」("The First of the Fallen")というグループが関わっているのではないかと彼女は疑っているのだ。またConstantineが天と地獄からの代理人と取引するような立場になったのはどうしてなんだろうか?

多岐にわたるディスカッションの中で彼はカナダ時代の少年時代の映画への情熱と新作「Constantine」を中心に語ってくれた。

 コミック「ヘルブレイザー」は読んだことがあったのですか?また、 コミックの主人公の出身地がイギリスだったのが、映画ではアメリカに変更になりましたか、この変更について、どう思いましたか?

 僕は脚本がくるまでまったく「コンスタンティン」を知らなかったんだ。脚本がきたときには既にキャラクターのプロフィールはロンドン出身で舞台設定もイギリスだったんだが、既に変更されていた。だから、変更されていたことを知らなかった。僕は脚本を読んで、この仕事として、自分でこの役柄に取り組んだんだ。「コンスタンティン」の本質が何かということが僕にとって重要なことだったんだ。この映画はそれがすべてだ。だから、僕たちは、その本質を見失わないように、映画製作に一所懸命取り組んだんだ。この作品の本質はこんな感じかな。ハードエッジで、ハードボイルトで、皮肉で厭世的な世界観、宿命的で、ニヒリスティック(虚無主義的)で、ハートはあるけど自己中心(笑)。コミックのファンには映画を作るときに、コミックの魅力を切り捨てたとは思ってほしくないんだ。

今まで演じてきた役の中には精神的な側面を重視して演じたものがいくつかありましたね。

「ギフト」のようにね。

私たちは何人かの共演者にあなたが、精神的な様々な側面から調べたたくさん書き付けたノートを持っていたと聞いています。役柄のリサーチの方法について教えてもらえませんか?

彼らが何について言っていたのか知らないけれど、僕は役柄を演じるにあたって考えたことを書き出すようにしているんだ。でも、いつももっているわけではないよ。まさかThe Path of the Peaceful Warriorという本(「邦題:「魂の目的」ソウルナビゲーション」を始終、持ち歩いているわけではないよ。僕は、自分が実際に演じることによって、その映画はどんな意味を持つようになるのだろうと考えるんだ。「もし僕が演じることができたら」と思える脚本が「コンスタンティン」だった。「ギフト」の中である登場人物(ケイト=ブランシェット演じる主人公の祖母)が言っていたように、その主人公が子供のときにかけられた呪いが何なのかを追求する旅路なんだ。「コンスタンティン」の場合も、彼の人生や環境を理解するための足跡(そくせき)を辿る。そしてある種の愛と憎しみという相反するものが共存する平和の境地に至る。それが映画の脚本だった。僕らはこの映画のテーマについてまずそれぞれが同じように認識を持っていることを確かめた。そして、この映画を製作したんだ。

ThumSuckerをサンダンス映画祭で見ましたが、いろいろな映画に出演することがあなたにとってどれだけ重要なのか、教えてください。低予算映画からこのような大規模予算の映画に出演されていますね。

 僕は本当に幸運にもいろいろな種類や規模、ジャンル、役柄、を扱った映画に出演できる機会に恵まれているんだ。そういうことが僕にとって非常に重要なんだ。時にはヒーローを演じたくないときってあるさ。いろいろなジャンルのいろいろな種類の役柄を演じてみたいと思わない?僕は今までもそういう風にいろいろな役柄にトライしてきたし、今後、僕のキャリアが続く限り、そういう風に取り組みたいと思っている。僕が面白いと思っているのは、役者としていろいろな仕事に取り組むことなんだ。僕にとっては可能な限り、役柄の幅を広げることが喜びなんだ。

あなたは今まで、は仏陀(「リトル・ブッダ」)、救世主ネオ(「マトリックス」)、救世主JM(「JM」)を演じてきて、悪魔と対峙してきましたが、今回の役柄は宗教的な習慣、儀式に、最も深く関わっているように思えます。

Keanu : リトル・ブッダも同じだよ。

私はあなたの宗教観に興味があるんです。つまり、宗教は多くの人々に影響を与えますが、貴方はどのくらい深くのこのスピリチュアルな葛藤に共感しましたか?

Keanu : (少し間をおく)君の質問に答えるために、Constantineの話題をはじめようと思う。私からみたConstantineは一種の世俗に生きる聖職者なんだ。Constantineという映画はカソリック的な偶像や見地から天国と地獄、神と悪魔、そしてそれらと闘う人間の魂を描いている。でも、僕自身はこの映画のコンセプトは、人間とは何かというところからきていると考えているんだ。コンスタンティン自身は現実的にその実態を理解しているのだけどね。この特殊なヒーローは、例え彼らがファンタジーのキャラクターであったとしても、物事を探求する人間だと思うんだ。

 ほかの役柄についても同じようなことがいえると思う。彼らが興味深いキャラクターであるというだけでないんだ。彼らは人生の中で、ヒーローたるべき人生の中で、シッダールタ(「リトル・ブッダ」)もそうだが、現状よりも少しでも明るい境地を拓こうとする。そういうことが僕たちの人生にとって価値があると思う。また、エンターテインメントとしてもみんなが楽しめるように西洋的な見地から描いた作品だと信じている。こういった探求者、救世主、アンチヒーロー、ヒーローの考え方や足跡が、僕たちが日々生きていくのに必要な事柄だと思うんだ。

 ヒーローは、自分がどこからきたのか、自分がなんのために戦うのか。そしてどんな道に至るのかということを観客に提示する。安易に流されるのではなく、別の境地に至ることを物語るんだ。それはとても価値があることだと思う。そしてそれは、僕たち芸術家がが作るすべての物語にあてはまる。影絵芝居、劇場語り部、現代文学、僕らがしばしば使っている情報伝達するメディアであっても、いつもこのようなエンターテイメントのルールがあると思うんだ。

俳優という仕事からあなたが得ているものはなんですか?

 僕は演じることが大好きなんだ。これが僕の職業なんだから。僕が15歳のとき、僕は母のところに行っていったんだ。「俳優になってもいいかな?」って。彼女はこんな風に答えた。「好きなようにしなさい。」その3週間の間に僕はUta HagenのRespect For Actingの夜間講座に申し込んだよ。そして演技はそれ自身なんだ。僕はそうだね。アンソニー=ホプキンスがこんな風に言っていた。演技をするのは絵を描くようなものだと。僕はイメージするんだ。その完成形を。どんなスキルが必要なのか、絵を描くのと同じように、自分がどう演じればできるのかをイメージするんだ。それができるようになればなるほど、その世界を知っていくことになる。僕は演劇のそんな部分を愛しているんだ。セットで撮影がうまくいった日、作品作り、協同作業、表現すること、野次。僕は演劇のすべてを愛してるんだ。こういうのがずっと続くといいなと思っている。

 John Constantineはまちがった方法で贖罪をしようとしていますね。 許しを請い、神と折り引きしようとしたり。彼は何に対して悔い改めようとしているんだと思いますか?

【ネタばれ】贖罪ね。贖罪ということでは、最後のシーン、彼にとっての救いというのはLo(彼は Luciferと呼んでいるが)の出会う場面で描かれていると思う。すべての罪を購って、犠牲を払って、そこに至る。しかしまた「Constantin」的なヒネリがあるね。天上に住む彼はサンタクロースみたいなもんだね。(笑いのため次のフレーズは聞き取れない)

あなたがこの役柄を演じていく上で感じたことは何ですか?

僕は本当に楽しんでジョンを演じていたんだ。彼が実際にどんな人物で、どう演じるべきかを調べるために、衣装を探しに衣装の担当者のところに行った。彼女は衣装ケースにいっぱい衣装と靴とその他モロモロを持ってきてくれた。僕はいろいろ試してようやく、映画のコンセプトに合った服を見つけた。どんな服が似合ったかって?帽子をかぶってみたり、これなんだけどね。そしてある瞬間だった。その瞬間を今も覚えているよ。あるジャケットと靴を履いたとき、僕は確実にYeah!これがコンスタンティンだと思ったんだ。

 そしてリハーサルに行った。コンスタンティン用のワードローブを身につけて,自然に身についていると自分でも感じたし、周囲もそういっていた。最高な気分だった。僕はコンスタンティンという役柄の何がしかの本質を理解して、本当にコンスタンティンを演じられると思ったんだ。自分の話し方を少し抑えてそして僕は役になりきろうとした。撮影期間は彼がしゃべるように話していたんだよ。

 僕は監督からコミックのようなハードボイルドっぽい感じで演じてほしいとアドバイスを受けた。彼ったら独特のユーモアを持っているんだよ。能面のように眉ひとつ動かさず面白いことを言うんだよ。僕がそれを知ったのは、なんと撮影の2日前だったんだよ。

最初に撮影したのは悪祓いの儀式だったんだけど、よくサポートしてもらった。僕は窓から歩きベッドに横たわる。−さて、僕はこのベッドにどういうふうに横たわるんだ?−。Constantineは立ち上がり歩き去る。彼は水たまりを乗り越えるように大またで歩くようにする。こんなふうに。そしてようやく僕は「OK!わかった。」っといえるたんだ。

レイチェル=ワイズとはキスシーンがないんですね?

そのほうが面白いよ。キスシーンがあってもいいし、そういうチャンスも場所もないカップルというのもいいんじゃない?それは映画の作り手の意図、−自惚れといっていいのか−があると思う。でもこの映画を見る人が楽しんでくれるといいなと思っている。同じようことは映画を編集しているときにどうコマをつなげるかというところにもいえるね。たとえばある車が成功の兆しが見えた男をひいてしまうとか。僕は同じようなことが男女関係にもいえると思うんだ。自分がやろうとしている何かの縁で結びついた男女が、(僕はそうはならないと思うけど)、そういうことがあって、彼らはキスできない。キスしたくない感じもあると思うけど、彼らはキスをしたくなる。映画のラストでは彼らはもう一度会いたいといいあうよね。そういう意味ではロマンチックだね。

フランチャイズについてはいかがですか?続編についてはいかがでしょうか?

価値がない映画だったら、続編を作らないほうがいいと思う。実は僕やプロデューサーの何名かと監督も続編の契約をしていないんだ。僕はできればやりたいと思っている。僕はこのコンスタンティンに惚れ込んでしまったんだよ。僕はこの映画製作の特殊なプロジェクトでとても人生の中でもとても有意義な時間を過ごすことができたんだ。そこでは僕たちができることを話し合った。Constantineに何が起こったんだ?彼はモロッコでヘロイン中毒になった。彼は呪文を唱えて人々を殺しながら、人を殺したくなくて、自分の心を壊してしまうんだ。そのとき、 Akiva Goldsmaは「違う。彼は聖戦をやめたいと思っているんだ」と考えていたんだ。そこで僕たちは観客に解釈をまかせることにした。もし、スタジオがその解釈を推し進めるだけの材料があればよかったんだけどね。

今回の仲間といっしょに、Francis Lawrence や Akiva Goldsmanら今回このプロジェクトに関わったみんなといっしょに確実に映画作りができるんだったら、僕はコンスタンティンをぜひ次も演じたいと思っている。今回、彼らいなかったら、この映画がどうなっていたか、想像できないよ。実際、僕はこの男を演じるのが好きなんだけどね。

三部作?

三部作!?どうしてそこで止める必要がある?コンスタンティンには息子が生まれるんだ。そして僕は彼も演じるよ。CGI、いや、しかしそれはコミックの世界だけに存在することだけど。だから僕は彼を再び演じたいんだ。誰が知っている?2月18日に、おそらく公開から30日までには、どうなるかわかるよ。だけど、 Francis Lawrenceはこの映画の後、今回、とてもすばらしい仕事をしたので、もう彼といっしょに仕事をすることができないんだ。彼はいなくなってしまうんだ。さびしいよ。

彼は自分の赤ちゃんを守ろうとしますね。

そうだね

どちらかというとシリアスな映画に出演していますよね?どうしてコンスタンティンなんですか?

そうだね。最初に台本を受け取ったのはオーストラリアのシドニーでマトリックス続編の撮影をしているときだった。それを読んで、本当に面白かったよ。役柄を演じるのかを選ぶときは、前にもいったけど、僕はいろいろなジャンルでいろいろな人物を演じたいと思っているんだ。だけど、僕はまだマトリックスを撮影している間に契約したんだ。ネオと同じような役だとは思わなかったので。まあコンスタンティンがネアカやつだとは思わないけどね。(註:ということはネオをネクラだと思っていたということですね〜)すばらしい脚本、アイディア、キャラクターを描いたコンスタンティンの撮影中に今までとはかなり違う経験ができたよ。

キャラクターの生命を吹き込むためどのように取り組みましたか?監督は脚本を書くのに9ヶ月かかったと言っていましたが。

彼との仕事はとても楽しかった。またAkiva Goldsman、彼は制作と脚本を担当してくれたんだが、彼ともいい仕事ができたよ。また Frankとも2回シドニーで会ったんだ。「コンスタンティン」との出会いは衝撃的だった。the spirituality(霊性)というのがコンスタンティンにあてはまる言葉が何が適当なのかわからないけれど。でもn内容が精神的なわりにはスプラッタだよね。僕としてはそんな風に感じているんだ。

 以前どうだったのか、そして、それが何になろうとしているのかというのが僕がこの映画で強調したいポイントなんだ。映画の終わりではコンスタンティンはこんなことを言っている。「我々に対する計画がありそうな予感がしていたが、それを知るためだけ2度死ななければならないとは」。原作にもあるように、コンスタンティンはミステリアスな方法を使って捜索している。それを好む人もあるだろうし、好まない人もあるだろう。アンビバレンスだね。僕は「コンスタンティン」は全編を通じて感じることなんだけど、確かにアンビバレンスはあるんだろうけど、この映画では理解できないことが起こったときにその人物がどう対処していくのかということが描かれていると思うんだ。彼は裏側の世界に何があるかを見ることができるという呪いをかけられているんだ。彼は抗しがたい力に打ちのめされて絶望している中で、彼は自分の人生の岐路を選択し、彼は地獄に行くんだ。そして地獄から帰ってくる。彼はどうしてなのかわからない。

僕はコンスタンティンは根源的なものを探求していると思うんだ。 (顔をあげて)「Hey!。君!。僕は何をやればいいんだ?僕はこれを全部やらないといけないのかい?」ってな感じで。それが僕がこの作品に感じていること、僕の強調したい点なんだ。これが霊的といえるかどうかはわからないけれど。でも、これってスプラッタだよね。

物事を明るい方に解釈しようとしていますね?

僕は映画作りの中で僕は人生でやってきたことの償いをしているんだ。言ってみればこれがぼくの「贖い」なんだ。

詳しく話してください。

ああ、いいよ。見てごらん。誰も天国なんて気にしないだろ。彼らはダーク・ファンタジーがほしいだけなんだ。僕らはそれについて言うことはできるからね。

演技というのは世界を愛するための車のようなものですね?

僕にとってはそのとおりだね。僕が何か作品に出演を決めるきっかけは、芸術的に何か楽しめる部分があることなんだ。映画にいって2時間過ごしたり、デートで映画を見たり、することなんてのは、何も救世主が出ているからではないと思うんだ。キャラクター、つまり人間が大事だと思うんだ。こうはいっても、物事の悪い面にスポットを当てるのはかまわないよ。例えば"The Gift"のように。あのときは演技をしていなかったけれどもね。だけど、あの映画は悲しみと悲しみをどう乗り越えていくのかを描いている。でも、そう考えると、物事をポジティブに描いているね。

そんなわけで、僕は何も得るところのない映画に行きたくないんだ。2時間もポルノまがいの映画を見たいと思うかい?例えば「セックスは最高!」なんていわんばかりのロリコン映画とかさ、ラストに変身して、すごい撃ち合いになるアニメーションとか。いいものもあるけれど。そういう作品には興味がもてないんだ。見ることはあるかもしれないけど、演じてみる価値はないと思っている。

スタントはスタントマンやCGIを使わずに自分でやったのですか?

僕は「コンスンティン」にはCGIのコンスタンティンはいないと思うよ。僕が何をやらなくてはいけなかった勝手?僕がやっていたのはコンスタンティンがデーモンに殴られて、後ろにぶっ飛ばされるんだけど、僕はそれを自分で演じた。Chad Stahelski、彼とは「マトリックス」でもスタントダブルをしてくれたんだけど、彼がそのシーンの撮影を協力してくれた。彼はこんなことを言うんだ。「着地するのはタコに任せろ」ってなことを言うんだ。「どういう意味?」と聞くと「リラックス!頑張るな。」僕が地面に落ちるとき、カメラは僕をほとんど写していないんだ。君がもう一度そのシーンを見るかどうかわからないけれど、本当にほとんどぼくの体は押し出されているんだ。また彼は僕の悪い点も指摘してくれるんだ。でも、内容はかなりハードだった。つまり、いくつかワイヤーワークがあったんだ。例えば、街を歩いていると車がやってくる。ダイブしたり、アクションをしたり。でも、それはかなり基礎的なアクションだ。トリプルサイドキックをしたり、ワイヤーを使ったりなんてのはなかったからね。(マトリックスの撮影時は)愉しかっったけれど。僕は全部のシーンをそういうふうに見えるようにフリをしていたわけさ。

15歳のとき、お母様に俳優になってもいいかと聞いたそうですね。

僕はいいこにしていたからね。君も知っているとおり、母は何になったってかまわないと言ったんだ。

俳優になりたいと思ったきっかけは何ですか?

2年生のときにその機会が1度だけあったね。ほら、よくあるだろ?消防士になりたいとか、警察官になりたいとか。特になんの理由もないんだけど、そういう風に言っているときがあるだろ?。高校2年生のときの担任が、2人の俳優を連れてきたんだ。2年生の演技をみてもらって、よくするために。僕は彼らにあこがれてしまって、「ぼくもああいう風になりたい」と思ったんだ。僕はこの思いがどういうことを意味するのか、わからなかったけれど。彼らは放浪者じゃなかったのかって?僕は何もしらないけど、そうだったのかもしれない。つまり、僕は彼らのことを知らなかったけれど、自分の見たものに影響されてしまったんだ。

彼らがいっしょにいる間、楽しい時間をすごしたんでしょうね。

そうだね。僕はそのときに何を演じたのか覚えていないけれど。僕が覚えているのは、そこにいたということだけだ。もしかしたら、義父もいっしょだったかもしれない。義父は映画監督をしていて、もっと幼いときに、2度ほどリハーサルに立ち会ったことがあるんだ。彼がやっていたプロダクションのアシスタントをやっていたんだ。スター=ウォーズが公開になったときには、Lilian Gish(D.W. Griffith監督の『國民の創生』(1915)にて主演)にソーダを運んだよ。彼女は「最近の映画は」なんてことを言っていた。また僕は14歳のときにD.W. Griffith(代表作:『國民の創生』(1915))についての本を読んだんだ。僕はその本にとても共感したんだ。「この中で言われていること、僕も同感だ」てな感じで。だから、Lilian Gishにソーダを持っていったっていうのは僕にとって、とても名誉なことだったんだ。彼女はとても美しいラブリーなレディだった。だから、僕はいつも彼女の周りにいたんだ。僕は義父といっしょに映画館やリハーサルに行っていた。だから、きっと、そのときにショービズの世界の流儀が身についたんだと思うよ。

いつも映画を見ていたんですか?

Keanu:そうさ。ときおりは学校の代わりにね。

学校の代わりに?

シー!!そうなんだ。1983年に第1回トロント映画祭が開催されたときに"Blood Simple"という映画が上映されたんだ。その年は僕は見た全部の映画について感想や気になったところを書き出していたんだよ。それは76本あったんだけど。

その週は学校にはぜんぜん行かなかったんですね。

そうなんだ。映画に行っていたもんで。そうだ、トロントで「Bloodshed in the Streets(原文は"Bloor Street Cinema"となっており、タイトルは不明。だが、ジョン=ウー監督の香港映画「(邦題)ワイルド・ブリット(Bloodshed in the Streets)」が、1990年にトロント国際映画祭にて9月8日に公開されており、語られている状況が似ている。)」と呼ばれていた美しくってすばらしい映画を知ってる?夏の夜にバイクに乗ってその映画を見に行ったんだ。行って着いたらバイクをロックしてそのまま映画館に入ってしまったんだ。僕はそれがどういうことかも知らなくて。だけど、そのまま入ってしまったんだよ。映画館でほかの人が香ばしいにおいのするポップコーンをもっているのを見て、やっと冷や水をかぶったみたいに正気に戻ったんだ。

Keanu,君とGavinはミュージシャンでもあるけれど、どんなことを話したりしたんでしょうか?彼と対立したりするようなことはなかったんでしょうか?

あのケンカのシーンは本当におもしろいよね。そうなんだ。Gavinはとても面白い奴なんだよ。彼は、そうだなぁ・・・すっごく好きになればなるほど嫌いになるけれど、実際はできないというそんなタイプの男なんだ。でも個人的にはとてもやさしいやつだよ。ただ、そうだなぁ、演技という面においては、僕は役作りをするときはあまり人に立ち入ることができないほど、ストイックに絶え間なく役作りをするのが好きなんだ。だけど、彼はそうではないんだ。君が近づくと、彼は唸り声をあげて「今、近づくと殺してやる」という感じなんだよね。そんなわけで、僕たちはうまくやっていたよ。本当に楽しかった。彼はアルバム制作に取り組んでいて、もうほぼ完成していると思う。つまり、彼はまだレコーディングしているんだ。僕たちはそんなことも話していたんだ。でも、まあ、ほんの少しだね。

Jamをしていたんですか?

もう一度,言ってくれる?

いっしょにJamったり(バンド演奏)したんですか?

ノー、ノー、ノー!

だってギターを弾いていたじゃないですか?

No

Dogstarはまだやっているんでしょ?

もう、解散したんだ。

次はどんなことをやりたいと思っていますか?

できれば Sandra Bullockといっしょに仕事をしたいと思っている。その映画は・・・

「スピード3」ですか?

いやぁその〜・・(笑いが起こる)笑わないで。また僕らその映画に出るかもしれないんだから。今度のタイトルはそう「Sped(その頃はスピードだった)」かなぁ。あるかもね。過去からの出直しでね。

もう役は決まっているんですか?

いや。できれば、Sandra Bullock(「スピード」で共演)と共演したいと思っているのだけど。それは韓国映画の「イルマーレ(「海の家」の意味)のリメイクなんだ。純愛ロマンスなんだよ。

タイトルはなんですか?

そうだね。タイトルはいま、いろいろな案が出ている。「イルマーレ(時空愛)」ではないと思う。僕が受け取った台本では「The Lake House」となっていた。

あなたは彼が求めている愛と憎しみがが共存する平和に感動したと言っていましたね。

Yeah

彼が得た不思議な力と、あなたがやらなければいけないことと平行線を走っていて関連がないように思います。スターとなって一種の愛憎が共存する調和を追い求めることとアーティストとしてあなたが望む仕事とはまったく関連がないと思いますが。

Keanu : 僕はそう思っていない。つまり、そういった事柄はまったく関連性がないことではないんだ。もし僕がある種、成功した俳優だといえるのだとしたら、それは僕が関わってきた作品にあると思うんだ。うん、そうだ。ある面からみて、僕の成功と作品の芸術性とは関連があるんだよ。僕はWarner Brothersとコンスタンティンを製作してきた。だが、彼らが僕をコンスタンティンに選んだんだよ。なぜそう考えたのか理由はわからないけれど。 もし僕が関わって何も成功しないんだったら、彼らは選ばないと思うよ。 「マトリックス」も「ディアボロス」も同じことが言えると思う。スタジオは僕がやっているまたはやりたいと思って映画の支援をしてくれているしね。スターであること、名声っていうのは、そういう面では役に立つよね。そして、僕は自分が関わった映画はみんなに楽しんでほしいなと思っているんだ。

ところで、脱線しますが、映画の中で、黒いスーツを着ていますよね。 あなたが演じているコンスタンティンよりもマトリックスのネオっぽいという声があるようですよ。

そうだね。できれば。。。僕はこの映画を見たとき、2時間6分の間、観客はこの映画を楽しんでくれればと思っているんだ。この映画を見ている間は「黒いコートは着ていない。着ていない」と念じてね(笑)。ごめんね。別にジョークのつもりじゃなかったんだけど。でもさ、彼は聴診器を持っていたりしなかっただろ?(おそらく「恋愛適齢期」の医師役や「ThumbSucker」の役のことを言っていると思われる)確かに個人的にはそう解釈してほしくないんだけれど。なぜそんなに用心深いのかということを聞かれることが多いんだけど、僕は単にそうしたくないだけなんだ。スクリーンの登場人物は罠にはまったり、自分ではおよそ経験することのできない状況に陥ったりする。そういうキャラクターを演じてみたいんだ。そうだね。確かに、ネオもコンスタンティンも世界を探求していくし、コスチュームも似ている。それは映画の本質ではないと思うけど、楽しんでくれたらいいんじゃないかと思うよ。

この映画のテーマはほかの人々とつながりを持つこと、明らかにこれが主要なテーマになっていると思います。あなたが演じるJohn Constantineは人々とも神ともかなり疎遠になっていますね。

いや。彼は神と非常に密接な関係があるんだ。彼はただ、何が起こっているかを理解していないだけなんだ。彼は全生涯、神と何かと関わりあっているんだ。

しかし、彼は天国にはいられない。神は天国にいく代償として彼に何かをさせようとしていますよね。

そうだね。

このアウトサイダー的な映画の中でのコンスタンティンの神との関わりについて、どのように考えていますか?またこの映画を見る人々にあなたの演じるコンスタンティンの見どころを教えて下さい。

確かに。これはアウトサイダー的な映画のアウトサイダーの話だ。僕は彼がいろいろな関係を求めている過程のほかには特に何をいっていいのかわからないけれど。できれば、見る人がこの映画の中に自分に関わることで何か価値を見いだしてほしいと思う。

撮影が終わってから、最初のできあがりを見るまでにはかなり時間がかかったと思います。そのときには特に問題がなかったのに、できあがりをみて驚いた点というのがあれば教えてください。

 Keanu : できることならすぐ見てみたいと思う。でも、実際には監督が完成させた版を待つべきだと思う。だって、自分が編集しているわけじゃないんだから。監督がやっているんだよ。彼の好きなようにやったらいいさ。彼はちゃんと見ているよ。Francis監督を始め、関わった人はこの映画の編集ではとてもハードに仕事をしているんだ。そして、僕らはまた追加で撮影して、コンスタンティンの新たな側面を発見をしたけれど。できる限り最高の映画を作るためにFrancis監督はよくやったと思うよ。本当に僕は監督に感謝しているんだ。実際2度編集過程で見たけれど。また、僕が監督に電話をかけて、「打ち合わせができないか?」と聞いたのは過去7年間で2回しかないよ。そういえば、以前"Young Blood(邦題:「栄光のエンブレム」)"という映画で僕はフランス人の役をやったんだ。その映画の自分を見るためにその映画に行ったら僕の撮影したシーンはなかったんだ。カットされてしまっていたんだよね。

今度、公開される最終版については意見をいう権限をもっていたんじゃないですか?そしてその意見は反映されましたか?

No, no, no, no! 少なくとも彼らは今は聞いてくれるよ。それは僕の立ち入る領域じゃないよ。そんなの非常識だ。僕は共に仕事をしている監督たちを信頼しているんだ。

あなたの意見はどのくらい取り入れられましたか?

そういうことは問題なんじゃないんだ。製作プロセスでは、僕は決して自分の意見を言わないようにしているんだ。Thumbsuckerを見ただろう?その映画では君も知っているように僕は小さな役柄だ。僕はセットでどこを歩くかなんて、前もって言えるもんじゃない。でも映画というものはそうなんじゃないのかな。例え僕が主演であっても、どこに僕がいるべきかなんていえるものじゃない。君もそう思っていると思うんだけど、僕は映画というものはそこに存在するもの同士の関係を描いているんだと思うんだ。

(註については、当サイトで真偽を調査して記載しています)

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