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2006年 9月4日 何時かどうかは申しませんが、かなり早くから来ました。 当時はまだステージのセットアップは始まっておらず、7時に業者が集まってセッティングを始めました。 (午前9時ごろの状態)
「ここでレッドカーペットが始まったのって、マトレボ(『マトリックス リローデッド』)が最初だっけ」 あのときは緑のカーペットを引いたり、森タワーを緑にしたり、東京タワーを3、2,1の掛け声の後、緑に変えたり。その後も裏方でどんな苦労があったのかを「とくだね!」他の局でいろいろ紹介されていました。いまやすっかり定番化しましたね。私のレッドカーペットの参加は2006年5月31日にあった『バットマン・ビギンズ』のときが最初で、今回が2度目。こういうイベントのいいところは、昔からのキアヌファンの方々に会うことができることです。ただ、サイトも11年目を迎えていまして、ハンドルだけが先行しているのもあって、最初の1〜2年目の頃と違って、いろんな人と熱く語るっていう機会がなくなってしまったのが、最近、変わったことかもしれません。 (午後16時ごろの状態) (音響セットも設置完了) キアヌが「嵐を呼ぶ男」ということで、念のため、雨合羽と傘を前日まで準備していましたが、当日は台風が関東圏に近づきつつも、日本を覆っている高気圧が頑張ってくれまして、並びかける直前に少し雨が降ったくらいでした。その後には虹が。
(東京で初めて見た虹かも・・・・)
会場の設営も調い、雨が降り始めたこともあってか、定刻5時より早い45分から、会場の整備が始まりました。中には大きな荷物を抱えている人も。 「キアヌへの誕生日プレゼントなんです」 口調がとても熱っぽいんです。ファンになりたて1〜2年目の私もこんな感じだったかも。そういうファンの気持ちってきっとうれしいはず・・・だけど、もうちょっと方法を考えたほうがいいかもしれないと内心思ったことでした。でも、もう彼がバンドで来日することはないし、バンドで来日することが多かったときにファンになれた私は本当にラッキーだったかも。
(会場のブロック) 正確なブロック図を送っていただいた方、ありがとうございました!!
17時すぎ、ようやく会場に入ることができました。今回はワーナーさんの計らいで、レッドカーペットの周辺のブロックから(A→H→I→G)と埋めていくということでした。Aの最前列はそのときには難しかったので、私達はHのブロックに二手に分かれることに。 キアヌはいつも時間どおりに現れるという噂は聞いていました。でも定刻どおりに始まったことなんてなかったのですが、今回限りは同行者の影響が大きかったのだなと思いました。キアヌとサンドラはファンに会うのを楽しみにしてくれていたというのは、すごく想像できました。けやき坂の入り口でプレスにつかまりましたが、その後Aブロックから順番にサインに応じていきました。 ところで上のブロック図でファンの温度差を分布で見ると、雰囲気的にAブロックには熱いキアヌファン、Hブロック、Iブロックにはプレミア慣れした人達が集まっていたように思います。現に私と話していた2人組みも最近あった「スーパーマン」のプレミアに参加したと言っていました。 「これサインしてくれるかな?」 と差し出されたハガキを見ると、『マイプライベート・アイダホ』(以降マイプラ)のアメリカ版ポスターのハガキ。 「・・・・・・」 2000年にアメリカでDogstarのライブに行った時には、名前も知らないのですが、並んでいる人からリバーものとマイプラものは厳禁されたな・・・・ということを頭を過(よ)ぎったのですが、そのとき、私は何もいいませんでした。もう12年もたっているのに、今もひきずっているだろうか。1995年にDogstarで来日したときにファンが東京から大阪で移動する新幹線の中でマイプラのパンフレットを出したところ、とても泣いて彼は「そのパンフレットをくれないか」と言ったらしいのですが、当時、そのパンフレットは高価なものであったため、彼女は譲らなかったそうです。それ以降、彼の様子がおかしかったという話が印象に残っています。やっぱり今も? 「どうしてもこれにほしいんです」たぶん、サインしないだろうなと思いつつ、何もいえませんでした、私。 18時30分ごろ、ようやくサンドラとキアヌがそばにやってきました。サンドラは柵の端っこにいた私のほうにもサインをくれて、「Thanks!」というと、こちらをまっすぐ、みて「You're Welcome!」と答えてくれました。たいてい、そんなことを言っても、応えてくれることはないので、本当にファンのことを見てくれているなと思いました。その次にキアヌがきましたが、実はプレス前にいたHブロックの人が端っこの私達のほうに押し寄せてきたのです。私の背後には3列ぐらいしかなかったのに、振り向くといつの間にか私の背後には2メートルくらいに積み重なる顔の山。それらはテラテラとオレンジ色の光に照らされていて。 私達の前の柵はというと、私でも2つくらい持てるくらいの直径3センチくらいの空洞のステンレスの柵。係員の人が「あぶないから」と補強してくれたものの、その補強に使われたのはかの山口県工業専門学校生で同級生を殺して、自分も自殺した男の子が自殺用に買ったあのビニールひもを五重くらいにまいたもの。そんなところに大勢押し寄せたものですから(自分はいつでも受身をとってそんなに怪我をしない自信はありましたが)、状況を把握しない他の人はどうなるかわからない状態でした。柵自体がギシギシいっていて、係員の人も近づけないくらいの状態でした。 キアヌはというと、私の目から見ても頭から湯気が立ち上っているくらい、怒っていました。私のプレスシートにサインをしてくれようとしましたが、あまりの怒りにプレスシートも見ないで、サインしていきました。そして、そのサイン自体はタイミングよく私のプレスシートの上に差し出された芳賀書店 (1993/12)刊「キアヌ.リーブス」の上に・・・。キアヌの「サインをあげよう」という気持ちだけは、受け取ることができました。が、横からそれをかっさらった人、そんなサインをもらって、うれしいですか?そして友達に自慢できますか? 怒っているキアヌは誰も手がつけられないということを知っているのですが、本当にすごく怒っていました。Gブロックはほとんど2〜3分で通り過ぎてしまいました。今思えば、彼を怒らせた原因はファンの対応もそうかもしれないんだけど、マイプラのハガキを出した人のあたりからの気がします。実は、あまりの熱いファンに彼が柵とファンを支えて「Stop」と叫んだのですが、そのファンのすぐ後ろにあの「マイプラ」のハガキを持った人がいました。ハガキは当然目に止まったはず。 「やっぱりもらえませんでした」やっぱり。マイプラは・・・・。 彼女と同様に私も落ち込んでしまいました。場を盛り上げようと準備したものは、無償のもではなくて、引き換えに「サインをもらう」というものに変わってしまいました。その気持ちが伝わらなかったのが残念だし、サインをもらおうという他のファンの人の欲に自分も同調してしまいました。こんな自分のバカさ加減に自分で呆れております。 場を盛り上げるために、音響コーナーから響くのはThis Never happened me bofore。 ほんとうにそうなんだ。ロマンチックに映画を盛り上げるこの曲がこのときほど白々しく聞こえたことはありませんでした。5分ほどたってようやく舞台上に現れたキアヌにはさきほどの怒りのオーラは見えないものの、そこは感情を出さずにプレミアを無事に終えました。 舞台挨拶つきの試写会。強運な友人のおかげで真ん中の席につくことができたものの、かのトム=クルーズの恋人であるケイティ=ホームズを「レイチェル=ワイズ」と紹介しても動じなかったあの襟川クロさんが、妙に早口にこの後のスケジュールを紹介していました。 「この後、舞台挨拶は5分ほどです。2人ともとても忙しい方ですので。」その言葉どおり、あっという間に舞台挨拶は終わりました。時間厳守・・・でした。本当に。マトリックスやコンスタンティンのときの弾けっぷりとは全然違っていて、彼の目からファンに対する失望というのをありありと感じてしまい・・・・。 公式にくるのは当分ないことなのに嫌な思いを残して帰してしまったのが、心残り・・・。1995年に日本のファンのことをあまり良く言っていなかったのですがそれに逆戻りした感じでした。 でも、気を取り直して、映画は映画で楽しみたいと思います。最後にプレミアの最後降ってきた手紙、彼らのメッセージを読んでみてください。 間違った方法はあったかもしれないけれど、みんなの気持ちがまた海を越えて、彼の方に届きますよう・・・・・。 追伸:次回のイベントで「マイプライベートアイダホ」のハガキや何かにサインをもらおうとする人がいたら、100%サインをもらえないし、確実にキアヌの気をそぐので、その人を止めるようにしましょう。今回出会った彼女は色紙を持っていたので、そちらのほうを出していたら、サインをもらえたかもしれません。言ってあげればよかったなぁと思いました。 そういえば、もうすぐハローウィン、リバーが旅立っていった日ですね・・・。 Established since 1st September 2001 by 999 SQUARES. |